琉球王国 第二尚氏王統
第一尚氏王統を築き、琉球統一をなしとげた尚巴志(しょうはし)が没すると、
王朝の勢力はしだいに衰えはじめました。
7代王の尚徳は野心的に領土拡張をおこない、
あいつぐ内乱や神社仏閣造営による財政逼迫をかえりみず、
暴君ぶりを露呈したといわれています。
しばらくして尚徳は病死し、王位継承に関しては家臣らの話し合いの結果、
当時王府の重臣であった金丸(かなまる)が推挙されました。
金丸はもともと農民出身で、
6代王尚泰久(しょうたいきゅう)にその才能を認められて
「御物城御鎖側(オモノグスクウサスヌスバ)」として
財政や外交をまかされるようになった人物です。
金丸は新国王として即位し、第一尚氏王統の「尚」姓を引きついで
尚円(しょうえん)と名乗りました。
そして、尚徳王の正統な後継者であることを中国皇帝に報告し、
1472年に冊封を受けました。
この尚円からはじまる王統が、
明治初期の「琉球処分」まで、
19代410年間にわたって琉球王国を統治した第二尚氏王統です。
アジアや日本の影響を受けながらも独自の歴史と文化を開花させ、
琉球王国という独立国家を形成し発展させていきた沖縄ですが、
しかし、1609年の島津氏の侵攻によって
幕藩体制に組み込まれた琉球王国は、
実質的に独立国家としての機能を失うことになりました。
2008年10月08日